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ワインの『同質化』の議論を考える


 近年世界のワイン界で、『ワインの同質化』についての議論がよく交わされるようになっています。ここで言う『ワインの同質化』とは、ワインがどれも似かよってきたというような意味のことを言っていますが、今回はなぜそういう議論が出てきているのか、ワインは本当に同質化しているのかといったあたりのことを見てみたいと思います。


『ワインの同質化』とはどういうことを言っているのか

 『ワインが同質化している』といわれても、何のことを言っているのだと言われるかもしれません。同質化とは読んで字のごとく、同じようになるという意味ですが、これをワインに当てはめると、ワインの中身が同じような感じのものが増えてきた、という意味のことを言っているようです。

 もちろんワインの大多数が、同じような感じになってきたというような極端なことではありません。しかしどうも最近そういう傾向がかなり見られるのではないか、という指摘です。

 では具体的にどういうところでその同質化が現れているといわれるのでしょう。そのひとつとして、産地の違いによるワインの差がなくなってきたのではないか、というのはよくされる指摘です。また、近年ヴィンテージの差が以前に比べて少なくなった、というのも同質化のひとつの現象としてとらえることが出来るかもしれません。

 さらには、ぶどう品種による個性の差もわかりづらくなっているのではないか、ということも言われます。こうした指摘の背景には、ぶどう作りとワイン造りに関わる問題、マーケットの問題、さらには自然環境の問題などいろいろなことが関わっているようです。


ワインの同質化の方向性

 同質化というならば、どういうふうに同質化をしているのかということが気になるところです。ひとくちに同質化といっても、すべてのワインが同じ方向を向いて同質化しているわけではないので、ここは分けて考える必要がありそうです。

 よく議論の的となるのは、高額ないわゆるトップエンドのワイン達です。価格で言えば1万円を超えるようなワイン群です。

 ボルドーのトップシャトーなどはその代表ですし、イタリアのSupertuscans(スーパータスカン)に代表されるようなIGTワイン(Indicazione Geografica Tipica)、あるいはカリフォルニアなどで造られるいわゆるカルト的なワインなどもそうした高額ワインの代表でしょう。

 議論が向けられるのは、こうしたトップエンドのワインがかなり類似してきたという点です。指摘は、かつてはトップエンドはトップエンドのワインの中でワインに個性があり、その違いがそれぞれのワインらしさを表していたが、今ではどれも傾向が似てきて、イタリアワインなのかカリフォルニアワインなのか、はたまたフランスワインなのか区別がつけにくくなっているというものです。

 たとえばボルドーワインだけをとってみても、以前は同じMedoc(メドック)でも、Pauillac(ポーイヤック)はこんな感じ、Margaux(マルゴー)はこんな感じと、なんとなくではあってもそれぞれの生産地のワインの特徴が想像できました。

 ところが最近特にここ10年ほどのMedocは、その違いがわからなくなってきているようです。それどころかSt Emillion(サンテミリオン)とMedocも大きく違わなくなってきているという指摘も多くなっています。

 こうしたワインの同質性あるいは類似性は地域間の問題にとどまらず、世界的な傾向として見られます。さてでは、なぜこういうことが起こってきているのでしょうか。次にそのことを見てみましょう。


ワインの同質化の背景―ワインの製造面から

 世界のトップエンドのワイン群が、同じような傾向になってきているという指摘は、どうも否定しきれないようです。では、似通ってきたといわれるそのワインの品質はどうでしょう。

 実はどうもこのあたりに問題のひとつの背景がありそうです。それは同質化しているといわれるワインたちは、ある意味でよいワインとはこうあるべきという、いわばワインの理想の姿に近いのかもしれないからです。ここは少し丁寧に説明する必要がありましょう。

 異論はあるかもしれませんが、ワインのひとつの理想的な姿とは、タンニンや色素などのフェノール類の蓄積がよく凝縮されていて、アルコール度が適度に高く、酸もしっかりとしている。さらには複雑性を備え、力強く余韻もしっかりしている、といったようなワインです。


収穫を意図的に遅らせてしぼんだShiraz(シラーズ)

このぶどうは、オーストラリアでも高額なシラーズワインのひとつとなる。
(オーストラリア、バロッサバレーで)


 かつてはこうしたワインは、よほど天候などの条件が整った、自然界の偶然がもたらす結果的な産物ととらえられていました。しかしながら現在では、世界中でかなりコンスタントにこうしたワインが造られるようになっています。

 ひとつの理想形といったのは、赤ワインのパワフルで凝縮感のある力強いワインを優れたワインとみなす人々にとっては、たしかにこうしたワインはワインの理想的な姿に近いであろうからです。そして現代ではその理想形が、人間の手でかなり操作可能になってきたのです。

 たとえばもし、30年前のワインメーカーたちが、現在のこうしたトップワインを飲んだとすると、もしかすると驚嘆の声を上げたかもしれません。それは、30年前にはよほどの天候などの偶然が重ならない限り、こうしたワインは出来得ないと思ったであろうからです。

 現代では、ぶどう園においては、フェノールの蓄積がすすんだ糖度の高いぶどうの収穫を行っていますし、ワインの醸造プロセスにおいては、そうしたぶどうに対していくつかの革新的ともいえる手法を適用して、理想的あるいは支持を受けるであろうと思われるワインを最終的につくりあげる、ということが行えるようになってきています。

 またこうしたワインが生まれる背景には、近年言われる地球温暖化によると思われる、ぶどうの作柄の安定があることも考慮に入れるべきでしょう。たしかにぶどうの栽培技術や醸造技術によって、以前に比べて凝縮感のあるワインを造ることはしやすくなってはいますが、それでもその根本となるぶどうの生育環境すべてを、人間の手でコントロールできるわけではありません。こうしたワインが生まれる大きな背景には、ぶどうの生育環境の安定があるというのも大きな要因でしょう。


ワインの同質化の背景―ワインのマーケットの側面から

 ワインを飲む消費者の好みはさまざまです。赤は苦手でいつも白ワインを飲むという方も非常に多くおられます。ワインに対していろいろな好みのタイプを持った消費者を市場は抱えています。そのなかであるグループの消費者層は、好みのワインのタイプを変化させていくということがあります。

 具体的には、従来は軽いタイプのワインを好んで飲んでいたのが、最近ではよりしっかりとしたワインを好むようになったとか、同じ赤ワインでもより強く濃厚な感じのワインがいいと思うようになったとかというようにです。

 ワインに限らず、刺激の少ない軽いものから、徐々により刺激の強いものを求めるようになるということは、よくおこることです。すべての人がそうだということはありませんが、こうしたケースは多いといえるのではないでしょうか。

 ワインの価格設定というのはほぼ上記の傾向を反映しています。つまり、より濃厚でリッチ、複雑性を持つワインにはより高い値段がつけられることになっています。現在進行している『ワインの同質化』は、そうした傾向を追い求めた結果(あるいはその過程)ということができるでしょう。

 ひとつの方向性を追求していくと、どんどんひとつの焦点へ集中していってしまうということはありがちなことだと思います。現在、高額の赤ワインの市場で起こっていることは、そういう事例のひとつととらえることができるのかもしれません。

 さらにこうした傾向が、市場の限られた人たちによって、恣意的に操作されているという指摘が多いのも事実です。現に世界の多くのワイナリーが、どうしたらこうしたワインを自分のワイナリーで造ることができるのかと、醸造コンサルタントといわれる人たちから指南を仰いでいます。

 たしかにこうしたワインは、飲んでみると良くぞこういうワインをつくったものだと感心します。こうしたワインは、おそらく15年20年前にはほとんどなかったワインです。それまでのワインは『出来てしまう』と表現したほうが的を得ているものでしたが、近年のワインは『つくりあげるもの』という表現が可能になってきています。

 世界のワイン界に強い影響力があると目される一部の批評家などの推奨も手伝って、また、ワインの飲み手もそれを受け入れている側面もあって、ワインの傾向が一方向に収れんしているという事実は否定しきれないように思います。


ワインの同質化は歓迎すべきことであるのか

 ワインの同質化が進むことは果たしてよいことであるのかどうか、まさにここが議論の焦点です。ひとつの論調は、ワインの同質化といっても、ワインの質が上がる中で起きていることであり、実際に多くの消費者がこうしたワインを好んでいる。ぶどう作り、ワイン造りの手法で、かつてはつくり得なかったような高品質ワインが、現在ではつくれるようになって、消費者からも支持を受けている、という主張です。

 一方で、ワインは個性的である、というところにその価値の根幹がある。ワインは、ぶどうができた土地や環境あるいはぶどうの品種、造り手の個性、ワインが造られる背景、食べ物との調和など幅広い選択範囲を持っていて、それを楽しむことができることがその本質だと主張する人たちもいます。

 1980年代あるいは1990年代初頭くらいまでのヴィンテージのワインの経験がある人々にとって、それ以前のワインとそれ以降のワインの比較が、記憶の中ではあるかもしれませんがそれができるため、その比較の中での意見というのは出てきます。

 現在市場を流通するワインのほとんどのヴィンテージは最近のものであるため、過去のワインとの比較はできにくくなっています。また古いヴィンテージのワインがあったとしても、かなり年月がたっているため、同じような状態での比較は難しいかもしれません。

 ものの良し悪しの比較をする上で、特にワインのような性格のものは、比較対象物があったほうがやりやすいでしょう。ワインの方向性が同じような向きになるということが、果たして消費者にとっていいことばかりであるのか、ワイン選択のはばが徐々に狭められてきているのではないかということは気になるところです。


 『ワインの同質化』の議論は、それぞれの持つワインに対する価値観で、どういう立場をとるのかによって違ってきます。現代では、ワイン産地が世界中に広がり、世界のいろいろな場所でワインが造られています。また、ぶどう栽培・ワイン醸造においても従来にはなかった手法が取り入れられています。今ではワインは世界中で飲まれるようになって、マーケットも世界中に拡散しています。

 現代の資本主義市場において、ワイン市場というのは魅力的な市場のひとつで、いかにその市場でうまくやっていくかは、生産者・流通段階にとって最も気になるところです。ワインの同質化も、そうした経営的・商業的な関心事がベースにあるということも考慮しておく必要がありそうです。

 ひとたび影響力がある批評家が、『エレガントでニュアンスがあって、飲み口も穏やかで言葉で表現しきれない繊細なタッチがあり、しかもふくよかな味わいのあるワインこそが良いワインだと』言い出して、メディアが一斉にそれに追随するようになれば、今度はその方向での『ワインの同質化』が始まるかもしれません。

 今回はかなり断片的に『ワインの同質化』ということについて取り上げましたが、ワインの中身の変化・スタイルの変化・市場の変化について知ることは、マーケットの皆様にとっては意味のあることではないかと思います。


(伊藤嘉浩 2008年4月)



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