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Home > Hubert de Montille(ユベール=ド・モンティーユ)氏、死去 【フランス】 2014年11月4日 ブルゴーニュ・ヴォルネイ(Volnay)の傑出した生産者、Domaine de Montille(ドメーヌ・ド・モンティーユ)の当主・Hubert de Montille(ユベール=ド・モンティーユ)氏が11月1日、死去した。 伝えられるところによると、ユベールは彼自身の1999年の Pommard Rugiensを友人たちと一緒に飲んでいる時に、心臓発作で死去したという。84歳だった。数年来、心臓を患っていたが、生前ユベールはこんな死に方がしたいと望んでいたとも伝えられる。 de Montilleは一族の相続などの諸問題で、彼の叔父から主にVolnayの3ヘクタールの畑を引き継ぎ、1947年彼が17歳の時に初めてワインを造った。以来ユベールはぶどうとワインを造り続けた。 ユベールのもう一つの顔は有能な弁護士の顔で、フランスの裁判史上に名が残るいくつかの事件も担当した。ワイン関係で有名なのは、Domaines Faiveley(ドメーヌ・フェヴレイ)が、Robert Parker(ロバート・パーカー)が彼の著書でドメーヌを傷つけたとして訴えた裁判で、ユベールはフェヴレイ側の弁護人として法廷に立った。(のちに和解して、フェヴレイは訴訟を取り下げている。) ユベールは弁護士とヴィニュロン(vigneron)という二足のわらじをはいたわけだが、弁護士としての報酬がドメーヌの運営を支えたと言われる。 ユベールは1960年代初めに、当時は当たり前とされていたワインのネゴシャンへの桶売りを止め、すべて自身のワインとして売るというやり方に切り替えた。これは、ワインはその土地の個性を表すとする彼の信念から来るもので、彼のワインはそれを具現化するものだった。 2004年につくられ、その後の世界のワイン界に一大センセーションを巻き起こしたドキュメンタリーフィルム・Mondovino(モンドヴィーノ)では、ユベールの語る彼のワインに対する考えを見ることが出来る。 現在Domaine de Montilleは、二人の子供Etienne(エティエンヌ)とAlix(アリックス)によって引き継がれ、最近Chateau de Puligny-Montrachetを取得している。またMaison Deux Montille(メゾン・ドゥ・モンティーユ)も立ち上げ(deuxは兄Etienne・妹Alixのふたり、またもう一つの Montilleの意)、Deux Montilleのラベルでは主にAlixが造るMeursaultなどのCôte de Beauneの白ワインを扱っている。
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