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ワインのラベルを飲む人々

 過去20数年、日本のワイン市場は何度かのエポックメーキング的な出来事を経て少しずつではありますが広がってきています。しかしながら未だ酒類市場においてメインプレーヤーを演じるまでには至っていません。そのひとつの要因として、ワイン販売者のサイドとワイン購入者の側との情報のやり取りが必ずしもスムーズにいっていないところがあるのでは、と思われます。とりわけ私は情報の出し手の側に若干の問題がありはしないかと思っています。


日本のワインマーケットの特徴

 これはワインマーケットに限ったことではありませんが、日本の消費者の行動は非常に保守的です。したがって新しい商品はなかなか簡単に日本のマーケットに受け入れられない、あるいは受け入れられるのに非常に長い時間がかかるという素地があることは認識しておかなくてはなりません。そのうえで、日本のワイン市場に関していくつか興味深い点が指摘できると思います。

 はじめに挙げられるのは、日本のワイン市場は基本的にクォリティを要求する市場だということです。過去の例からも明らかなように、一時は安価なワインが爆発的に売れはするものの定着しない、結局安かろう悪かろうの商品は淘汰されるという市場です。
 2つ目は、誰かに権威付けされたものに非常に敏感に反応するということです。
 3つ目は、あるひとつの商品(あるいは商品カテゴリー)に流行の火がつくと、異常ともいえる急激な売上を示し、ひとたびそのブームが去るときわめて短期間に沈静化するというものです。これはワイン市場においても過去にいくつも事例があり、最近では赤ワインのブームがそうでありましょうし、80年代のボジョレーヌーボーもそうでありました。
 4つ目には、ワインを買う消費者がワインについての勉強をしているという点です。
 5つ目は、日本へはかなりの量のワインが輸入されているにもかかわらず、意外に商品選択の幅が狭いという点です。このことは日本の酒類流通全般にかかわる問題です。


自分の口に合うワインを自分で探していく楽しみ

 最近ワインを売り買いするときに、どこそこのだれそれという世界的に権威のある人がこういっている、あるいは何点という得点をつけたというふうな売り方や、そのワインへの説明の仕方がされているのを目にするようになりました。わたしはこのやり方を真っ向から否定するものではありませんが、買い手である消費者にとっては必ずしもよいことばかりではないとも思っています。  それは消費者にとって商品選択の幅がせばめられる可能性があるからです。

 といいますのは、誰かに権威付けされた商品が必ずその消費者の嗜好に一致するかというと、そんなことはないからです。しかし買い手は(売り手もまたしかり)、有名な何とかさんが言っているのだから自分に合うのだと錯覚を起こしてしまいます。

 本当は自分の求めていたワインとは少し違うにもかかわらず、これは評価の高いワインだからおいしいに違いない、おいしいと思わなければいけない、おいしく感じないのは自分のせいだ・・・とおかしな方向に行ってしまうかもしれません。言ってみればとてもよくできた服ではあるけれど、自分にはちょっと窮屈だったり、袖が長すぎたり、でも着られないことはないから有名ブランドではあるし無理して着てお出かけしましょう、と言っているようなものです。

 ワインの品揃えをするときに、有名ブランドをそろえるというのは確かにひとつのやり方だとは思うのですが、もう少しきめ細かい選択を消費者のために提供することが必要でありましょう。そのためには自らをブランド品からの呪縛から解くという姿勢が必要であると思います。誤解がないようにしなければならないことは、ワインを売る側も買う側も何でも手当たり次第にワインを選択すればよいといっているのでは決してありません。

 評判の良し悪しや産地の人気にとらわれず、できるだけフラットな状態でワインを見る、これが何より大切であり、結果的に自分の気に入ったワインを見出す近道になると思います。また販売サイドは消費者にそういう環境を提供するように配慮すべきです。その意味でワイン販売者にとっては、ブラインドテースティングは商品吟味をおこなう上で非常に大切な手法です。


ワインを楽しく飲むには勉強が必要か

 日本のワイン愛好家はワインの細かな部分についてとてもよく知っているといわれます。おそらくそれは事実でしょう。ワインの会などでも非常にテクニカルな質問、たとえばマロラクティック発酵についてであるとか、発酵温度についてといったおよそ一般のワインファンからとは思えないような質問も多いと聞きます。ワインというのは確かに知的好奇心をくすぐりますし、その種類の豊富さゆえ多少の知識があったほうがより楽しめるというのも確かです。その範囲でワインのことを知りたいと思うのはまったく自然です。

 しかしながらワインを楽しむために、微にいり細にわたったことをあまりに言い過ぎるというのはいささか考え物です。それはワインを楽しむための飲み物から遠ざけてしまう恐れがあるからです。もちろんワインについてもっと知りたいと思い、知識を深めていくことはまったく問題ありません。しかし全体の風潮としてワインを飲むとき、買うとき、あるいは売るときにワインの勉強をしてそれらしいことを言うことがより通なのだ、というような空気はワインの市場にとってネガティブに働くと思います。

 それはたとえて言うなら、音楽を聴きに行って座席で楽譜を広げ、作曲の細かな理論的部分について語ったり、演奏者の解釈に必要以上のコメントをつけたりするのと似ています。そういうことをやってみたい気持ちはわかりますが、観客の多くがそういう人たちになり、そうすることが音楽を聴くには必要だなどという空気が生まれれば、楽しく音楽を聴きに行こうという人はいなくなってしまいます。しかも私にはそういう風潮を誘導しているのは、ワインを売る側、ワインをサービスする側にあるのではないかとすら思えます。

 ワインを販売する人が消費者と接するときは、そのお客さんをいかに満足させられるか、その一点に集中すべきです。そのときもっとも大切なことはワインの専門的なことを語ることではないのではないでしょうか。大切なのは、もっと幅広いお客さん個々人に対応できる接客、もてなしの態度なのだと思います。他方、ワインを仕入れたり品揃えをするときには自分の持っているワインの専門性を発揮することになります。そのワインの品揃えがお客さんをお迎えするバックボーンになるわけですから。


お客様は神様

 オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカといった国々では、ほとんどのワイナリーで消費者が直接行ってその場で味見をしながらワインを買うことができます。場合によってはワイナリーのオーナーや醸造家とも直接話をしながらワインの試飲をすることもできます。ワインファンにとってはワイナリーを訪れるというのは大きな楽しみであるのです。

 私のおります西オーストラリアのワイナリーにも毎日多くのお客さんがお見えになります。お客さんのタイプもさまざまで、中にはワインの造り方を事細かに教えてくださる方もおいでです。ワインメーカーはその話をニコニコ聞いています。結局そのお客さんは数本のワインをお買い上げになりこれもまたニコニコしてお帰りになりました。彼は自説を展開できてとても満足だったのでしょう。

 英語にはsnobという単語があります。これは自分は人より上だと思っていて自分より下だと思う人をさげすむ人、という意味です。もちろんいい意味では使いません。ワインに関してはwine snob なる言葉が存在します。これはワインのことでいちいち知ったかぶりをして能書きをたれる鼻持ちならないやつ、という意味です。これに対してwine buffという言葉もあります。これはconnoisseur(コニサー)をくだけた感じにしたような言葉ですが、これはワインに関心があってとてもよく知っていて熱心な人、という響きです。ですからwine connoisseurとかwine buff といわれれば悪いニュアンスはありませんが、あいつはwine snob だという言い方にはよい意味はこめられていないのです。

 日本はクォリティを要求する市場だと書きました。世界にはまだ日本に紹介されていない非常によいワインがたくさんあります。そういう良いワインが日本の市場でも買えるようになればもっとワインの世界は広がるし、楽しくなると思います。日本はそうなる高いポテンシャルを持った市場です。今後の流通に携わる方々の姿勢に期待します。

(伊藤嘉浩)

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